主観的パフォーマンスと客観的パフォーマンス

優秀なSWクリエイターが、SWクリエイションにおいてとんでもないパフォーマンスを発揮することについて、論理的な思考のエントリでは、このようなパフォーマンスを発揮するには「結局訓練を積むしか無いような気もする」と書いた。だがそれ以前に、「楽しくやる」というのは前提条件である。私が日々感覚的に考えていることだが、楽しくやることで、「主観的」パフォーマンスが最大化される。主観的パフォーマンスが高い状態でも、端から見ればトロいかもしれないが、それは関係ない。その人の中で最大限のパフォーマンスが発揮されていればそれでいい。さらにその上で、「客観的」パフォーマンスを最大化する。

誰しも最初から高い客観的パフォーマンスは発揮することはできないが、主観的パフォーマンスは最初から発揮することができる。一方、主観的パフォーマンスを後から(能動的に)高めることは難しいが、客観的パフォーマンスは後から高めることができる。常に最大の主観的パフォーマンスを発揮していれば、より短時間で、より高い客観的パフォーマンス発揮できるようになる。

つまり、個人の能力をより短時間で育成しようと思ったら、主観的パフォーマンスが最大化されるようにしておくと良い。
(そこそこの主観的パフォーマンスしか発揮していない人より、最大の主観的パフォーマンスを発揮している人の方が、一定期間後により高いパフォーマンスを発揮できるようになるとは、必ずしも限らないらしい。そこには生物学的な要因が絡んでいるかもしれない)


ところで、高い主観的パフォーマンスが発揮されていれば、自然と客観的パフォーマンスは飛躍的に向上していく。また高い主観的パフォーマンスが発揮されていないと、客観的パフォーマンスはほとんど向上しない。そのため、成長の期間が許容されるのであれば、主観的パフォーマンスと客観的パフォーマンスを区別する必要は無い。